君を守る・3
※最初に注意
暗いです。
ヨファが片思いなのが許せないとかかわいそうなのはダメとかアレな人になっちゃってるのはいただけないとか思われる方は、読まないほうがよろしいです。
僕には大切な人がいた。
その人を守りたくて、僕は強くなった。
僕はもっと強くなるよ、そしてずっとあなたのことを守るよ、そう告げたら、その人は「ありがとう」と言ってにっこりと微笑んだ。
僕の大切なその人は、今から一年ちょっと前に僕らの傭兵団にやってきた。
もともと体が丈夫じゃないということで、しょっちゅう熱を出しては寝込んでいた。
彼は戦うことの出来ない人だったけれど回復の杖を扱う腕前はなかなかのものだったから、僕たちは心からありがたいと思って歓迎したんだ。
痩せた腕にしっかりと杖を抱きかかえ、ひょろひょろと戦場を彷徨う姿は、見るからに痛々しい。
もうやめてくれ、頼むからとっとと帰って、飯でも作って俺らが帰るのを待ってろ。
…こっちがそう、泣いてお願いしちゃいたくなるほど危なっかしいと、苦い顔をしてボーレが言っていた。
…でも、いざ怪我をしてみると、「大丈夫ですよ。今、治します」と励ましてくれるあの声が、なんともいえず心強いんだ。
そう言ってボーレは、にかっと笑った。
多分、ボーレだけじゃなく、他の団員も同じ気持ちなんだろうと思う。
僕は小さい頃はもっと体が弱くて何度も死にかけてね、と、その人は言っていた。
だからなのかな。
僕らの誰よりも天国を知っている人だから、あんな、天使みたいな人になったのかな。
その人が傭兵団に入ることになったいきさつを思い出す。
彼は、自分の幸せより人の幸せを一番に考える人で。
たとえ相手が敵でも、憐れっぽく「私のために死んでください」と泣いて懇願されたら、ちょっと考えて本当に死んでみせるだろう。
優しい人なんだ。
ときにはあまりに愚かなほど。
だから、僕が守ってあげないといけない。
僕はまだみんなから子供だと言われていたけれど、もう「子供」という立場に甘えるわけにはいかなかった。
誰もに認められるくらい強くなって、戦場に立つ必要があったからだ。
あの人は自分の身を守る術を持っていなかったから。
僕が隣にいて、彼を守って戦いたかったんだ。
その人…キルロイさんは、戦場でそれなりの経験を積み、今日、晴れて光の魔道書を使用することが許される身の上となった。
キルロイさんの喜びようといったら、そりゃもうすごいものだった。
ひごろはどっちかというとおとなしい部類の人だったから、いつも一緒にいる僕でさえ、ちょっと面食らった。
でも、嬉しそうなキルロイさんを見ることは僕にとっても嬉しいことだったから、単純に僕もキルロイさんと一緒に喜んだんだ。
…けれど。
どうしたんだろう。
なんだかだんだん面白くない気分になってきたのは。
キルロイさんは目を輝かせて、輸送隊から持ち出してきたばかりの光の魔道書のページをめくっている。
僕が隣にいるのに、かまってくれない。
覗き込んだページの内容が僕には理解できなかったので、僕は更に気分が悪くなった。
「…面白い?」
僕はぽそっと呟いた。
キルロイさんはたった今僕がいることを思い出したかのように、はっとして顔を上げ、魔道書をぱたんと閉じた。
「あ…ごめん、何て言ったの?」
「別に。それ、なんて書いてあるのってきいただけだよ。」
僕は微妙に嘘をついた。
気をつけていないと、意地悪なことを言ってしまいそうだ。
驚いたことに、キルロイさんにもなにが書いてあるのかよくわからないということだった。
「文字は読めるけど、それの意図することがいまひとつぴんとこなくて。」
キルロイさんは困ったように首をひねった。
キルロイさんは体の事情もあって、神官としての修行もほとんどやっていないのだという。
「おつとめ」のできない者はいらないということで、お情け程度に杖の振り方を教えてもらって、追っ払われるように家に帰されたそうだ。
だから、当然、魔道書の読み方などキルロイさんが習っているはずもない。
「それは、困ったね…」
僕が言った。
「そうだね、困ったね。」
うーん、と、キルロイさんも唸った。
結局、魔道書の読み方は誰かに教えてもらう、ということになった。
キルロイさんと僕は、先日の戦いで仲間になったトパックとかいう少年を探して歩いた。
セネリオは仕事が多くてそれどころじゃないだろうし、イレースさんもいつも青い顔をしてよろよろしていたので、余計なことをお願いしないほうがいいだろうと僕とキルロイさんの意見が一致したからだ。
トパックは見た目のとおり気のいい奴で、二つ返事で先生役になることを了解してくれた。
「でもよー、おいらも光の魔道書なんて初めてだから、あんたが期待するほど役にはたてねーかもよ?」
「そんなことないよ。僕は君の戦っているところをみたけど、すごい使い手だなって感心してたんだ。」
「そ、そうかな。えへへへ…」
トパックはきっと、社交辞令という言葉を知らないんだろうな。照れくさそうに、でもまんざらでもなさそうに笑っている。
キルロイさんもそんなトパックをみて微笑んでいた。
長くなりそうだからヨファはもう付き合う必要はないよ?と、キルロイさんは言ったけど、僕は半ば意地になってその場にいすわり続けた。
セネリオといういい例があったから、僕は魔法を使う奴なんてどこかしら偏ったところのある連中だ、と思っていたのだけれど、それはあながち間違ってもいないらしい。
キルロイさんとトパックは、もうかなり陽も西に傾いたというのに、おなかがすいたとも言わずに魔道書を読み、何か話をしていた。
キルロイさんは結構凝り性なところがあるからわからなくもないけど、あの見るからに落ち着きのなさそうなコドモのトパックまでがあんなに真面目な顔をして、本に目を落としている。
魔法使いというのはそういうものか…
キルロイさんもその中の一人になってしまったんだなぁと、僕は僕とキルロイさんの距離が遠くなったような気がして、ため息をついた。
「終わったよ、ヨファ。待たせてごめんね。」
声をかけられて気が付いた。
どうも居眠りをしてしまったらしい。
すでにトパックはいなくなっていた。
「ああ…うん。それで、その本の使い方はわかったの?」
僕は口元をぬぐいながらキルロイさんに尋ねた。
…眠っているあいだ、よだれなどたらさなかっだたろうか?
「多分大丈夫。」
キルロイさんは魔道書の表紙を指先でトン、と叩いた。
「あとは実践あるのみだよ。僕はちょっと練習しに行ってくるから。」
「ええ!?」
冗談でしょ、と思った。
あたりはすでに暗くなりかけている。もうすぐ夕食だろう。…昼食だって食べていないのに。
そう言って抗議すると、予想通り「僕のことは気にしないで。先に食事に行っていて」という返事が返ってきた。
「おなかがすいてるんじゃないよ!」
僕は怒鳴ったけど、本当は嘘だ。今呼びかけられたら、おなかのほうが元気よく返事をしてしまうんじゃないかと思うくらい、空腹だった。
「空を見てよ。もう日が暮れるよ?どこで練習する気か知らないけど、暗くなったら危ないじゃないか!」
「…ああ、」
キルロイさんはあたりを見回した。
今ごろになってどのくらい時間がたったのか気が付いたらしい。
「そうだね。でも…」
キルロイさんは何かをいいかけた。
暗くても大丈夫とか女の子じゃないんだしとか言いたかったのかもしれない。
でも、僕は最後まで言わせなかった。
僕はキルロイさんの腕をつかんだ。
「ちがうよ…本当は、違うんだ。」
キルロイさんの手は、僕のより少し冷たかった。
「心配なんだよ…だって、キルロイさんは昨日も戦いに出たばっかりじゃない。…砦にいたころは戦いに参加した後はいつも寝込んでいたでしょう?なのにこんな、休憩も取らないであちこち動き回って…体を壊したりしないかって、心配なんだ。」
「…大丈夫だよ。」
キルロイさんはふわりと微笑んで、僕の髪をくしゃりと撫でた。
「絶対に無理はしないって、団のみんなと約束したのを覚えてる?…大丈夫だよ。このところ、体の調子はすごくいいんだ。」
キルロイさんの声は穏やかで優しかったけれど、有無を言わせない強さがあった。
結局、僕が折れた。
日が沈みきるまでの数十分だけだけど、外に練習に出ることになった。
「明日じゃだめなの?またすぐ戦いがあるわけじゃないのに…どうしてその本を使うことを、そんなに急ぐの?」
僕は歩きながら訊いてみた。
今回は折れたけど、納得できたからじゃない。キルロイさんの願いを無下にできなかっただけだ。
「急いで?…そうだね。一日でも早く、魔道書を使いこなせるようになりたいと思っているよ。」
「わからないよ。魔法使いなら他にもいるじゃないか。キルロイさんがそんなに焦る必要なんてないよ。」
でも、キルロイさんは首を横に振った。
「みんなの役に立てることは、やれるだけやっておきたいんだ。僕は今まで人に迷惑をかけるだけの存在だったけれど」
キルロイさんは魔道書をいとおしそうに胸に抱く。
「これでやっと、人の足をひっぱらなくて済むようになる。」
「そんな…」
ショックだ。
キルロイさんがそんなことを気にしていたなんて。
最近仲間に加わった新しい人たちは知らないけれど、傭兵団のみんなは誰もキルロイさんのことを迷惑だなんて思ってないのに。
僕たちは家族みたいなものだと、安心して頼ってもらっているつもりでいたのに、キルロイさんはそう思っていなかったのだろうか。
「もう、貴重な戦力を僕のために割かせなくて済むんだ。ヨファももう僕を守りながら不自由な戦い方をすることもないんだよ。」
それが、さも「いいこと」のようにキルロイさんは言った。
「早く光魔法をものにして、自分の身くらい自分で守れるようになりたい。」
キルロイさんは晴れやかに笑う。
その目は、誇りを持って、まっすぐ前を見つめていた。
「やっとこれで、僕は自分の足で立てたような気がする。」
何言ってるの?
おかしいよ。
だって、キルロイさんは体が弱いから、しょっちゅう倒れて。
戦場に出ても杖しか使えないから、一人にしておくのは危険で。
だから、僕が守るって言ったのに。
だから、病気の時は僕が看病して、戦いの時は僕がとなりにいるって言ったのに。
自分の身を自分で守るって、どういう意味?
日が沈むその瞬間、キルロイさんは初めての光の魔法を使った。
風もないのに白い僧衣の袖が揺れ、裾がはためいた。
伸ばした右の手のひらの中に、ゆっくりと光の塊があらわれる。
光はキルロイさんの白い頬を照らし、琥珀の瞳の中できらきらと輝いていた。
綺麗だな、と、思った。
人を傷つけるための光なのに、それを操るキルロイさんは、こんなにも綺麗だ。
でも、これは僕が大好きで大切だったキルロイさんじゃない。
司祭になんて、ならなければよかったのに。
なにもできないままでも、ただ僕の隣にいればよかったのに。
夕食には少し遅れてしまった。
僕たちが食堂に入ったときは、もう人もまばらだった。
マーシャさんがまだ残っていて僕たちに手を振ったので、僕とキルロイさんはマーシャさんと同じテーブルに座った。
…マーシャさんがなぜかケビンと一緒だったのは、ものすごく不満だったのだけれど。
「街まで出て遅くなっちゃったなーと思って帰ってきたらね、もう薄暗いっていうのに、ケビンさんが表で斧をふるってるの。食事をまだ食べてないって言うから、一緒に食堂に来たのよ。」
マーシャさんがケビンを見て言った。
「熱心にも程がありますよ。」
「うむ…」
ケビンの皿は、すでに空になっている。
「新しい必殺技をあみだしてな、キルロイにぜひ見てもらおうと思っていたのだ。」
「え…?」
待ってたんですか、と言って、キルロイさんは頬を赤くしてうつむいた。
キルロイさんがケビンの訓練を見にいくのは日課のようになっていたから、約束をしていなかったけどケビンは今日もそのつもりだったんだろう。
キルロイさんはすみません、と謝り、少しはにかんで、今日行かなかった理由を告げた。
マーシャさんはおめでとうございますとお祝いを言い、ケビンは嬉しそうにキルロイさんの肩を叩いた。
「そうか!それはめでたい!これで一緒に戦えるな!」
「…はい。」
ケビンに肩を掴まれたまま、キルロイさんはこっくりとうなずいた。キルロイさんも嬉しそうだ。
馬鹿な、と、僕は思った。
一緒に戦うだって?
いつも最前線で戦っているケビンと、キルロイさんが?
僕には自由に戦えって言うくせに、こいつとは一緒に戦うつもりなの?
ありえないよ。
あっては、いけない。
そんなの、僕が。
許さない。
他の人がいなくなって、照明が半分におとされても、僕たちは食堂に残って話をしていた。
マーシャさんは陽気な会話で座を盛り上げるのが得意だ。
僕も意識していつも以上に明るくふるまった。
でも、本当は会話なんて、右の耳から左の耳へと抜けているだけだ。
僕はマーシャさんとケビンに気付かれないように、ちらちらと隣のキルロイさんの様子を窺っていた。
キルロイさんは最初は会話に入ってにこにこと楽しそうにしていたけれど、だんだん口数が減っていって、今ではもう、ろくに相槌をうつこともない。
テーブルの上で組んだ指を、ぼんやりと見つめているだけだ。
顔色がいつもより白くなって、額には小さな汗が光っていた。
「キルロイさん…気分悪いの?」
会話が途切れたときを狙って、僕はキルロイさんに声をかけた。
マーシャさんとケビンも気付いて、キルロイさんを見る。
キルロイさんは弱弱しく笑うと、右の手で目の辺りを押さえた。
「…うん、少し、疲れたみたいだ。」
大したことはないから気にするな、といいたいのだろう。
キルロイさんは自分の体調のことを大げさにされるのを嫌がるから。
「昨日の疲れもとれてないのに、動きすぎたんだよ。もう部屋に帰って休まなきゃ。」
「そう…だね。すみません、ケビンさん、マーシャさん。僕はこれで失礼しま…」
「キルロイさん!」
僕は少し乱暴に手を突き出した。
キルロイさんは素直に僕の手を取る。
そんなやりとりをしている間にもキルロイさんの顔色はますます悪くなっていた。
立ち上がろうとしてよろめいたキルロイさんの腰を、僕は慌てて支える。
「ゆっくり…ゆっくりでいいよ。大丈夫、もっと僕に寄っかかっていいから。」
キルロイさんは身長は並だけど、大人の男の人とは思えないくらい軽い。
今までも具合の悪くなったキルロイさんをこうやって助けて歩いたことが、何度かあった。
「ヨファ!」
椅子をひっくり返さん勢いで、ケビンが立ち上がった。
そして僕とキルロイさんの進路に立ちはだかる。
ケビンは僕…いや、キルロイさんに向かって手を差し出した。
「代わろう。オレだったら抱いて行ける。」
そのままキルロイさんをさらっていきそうだったので、僕はキルロイさんの腰に回した腕に力を込めて、更に強くその体を引き寄せた。
「結構です!」
僕は断った。
「慣れてるからいいんです。今までずっと僕がキルロイさんの世話をしてきたんだから…余計な手は、出さないでください。」
ケビンがなにか言いたげに、眉をひそめた。
でも僕は言わせない。
この手からキルロイさんを連れていかせもしない。
半ばにらみ合うようにして僕とケビンは対峙した。マーシャさんはおろおろとするだけだ。
沈黙を破ったのは、キルロイさんの蚊の鳴くような声だった。
「ごめん……ヨファ、…吐きそう…」
口を押さえた手が震えていた。
よほど辛いんだろう。閉じられた目じりには少し涙がにじんでいる。
「ほら、どいてよ。」
僕は勝ち誇ったようにケビンをねめつけた。
「キルロイさんをここで吐かせるの?かわいそうでしょう?」
「・・・・・・・・」
ケビンは黙って道を開けた。
それなら尚更、と言ってキルロイさんを抱き上げなかったのは、勢いだけで病人の世話はできないことをこの男なりにわかっていたからだろう。
「あの、私、なにかできることはない?」
マーシャさんが訊いた。
「あまってる毛布を2、3枚と、タオルをもらってきてくれる?それだけでいいから。」
僕はマーシャさんを振り向くこともなく答えると、キルロイさんを抱えて食堂を出た。
キルロイさんは何度か吐いて、今はベッドで横になっている。
手も頬も、とても冷たくなっていたから、マーシャさんが持ってきてくれた毛布を、重ねて掛けてあげた。
ケビンは部屋まで着いてきたけど、邪魔だからと理由をつけて中には入れてやらなかったし、マーシャさんは気をきかせて毛布を届けてくれた後は自分の部屋に帰っていったようだ。
キルロイさんが吐いたものの中には血もまじっていたから、あの人たちに見られなくて良かったと思った。
見れば、きっと他の関係ない人まで巻き込んでの大騒ぎにしてしまっていただろう。
「…ごめんね、ヨファ。いつも面倒ばかりかけて…」
目を閉じたまま、キルロイさんが力のない声で言った。
「何言ってるのさ。僕はキルロイさんに面倒かけられたことなんて、一度もないよ。」
僕は椅子をひっぱってきて、ベッドの横で腰掛けた。
冷たいキルロイさんの手を取って、温かくなるようにと丁寧に擦った。
「言ったでしょう?キルロイさんが体を壊さないか、心配なんだって。今日は根をつめすぎたんだよ。無理しすぎだよ。」
「・・・・・・」
キルロイさんはうっすらと目を開けた。
「…調子は悪くなかったんだよ…今までないくらいに元気だったんだ……」
自分の今の状態が信じられないといった様子で、ぽそりと呟いた。
僕はキルロイさんの手を擦り続ける。
「仕方ないよ。キルロイさんは病気だもん。今までだって、さっきまで元気だったのにいきなり熱出たり、とかあったじゃない。特別なことじゃないよ。」
「・・・・・」
キルロイさんは黙って聞いていた。
僕はできるだけ優しい顔を作って、キルロイさんに笑いかけた。
「キルロイさんはもっと自分を労わらなくちゃ。もともとキルロイさんの仕事は、怪我をした人の治療だったでしょう?それ以上のことはしなくていいんだよ。」
そして、黙ったままのキルロイさんの耳もとに顔を寄せて、囁いた。
「…誰もそれ以上のことは望んでいないよ。」
のろのろとキルロイさんが僕を見上げた。
「だって、そうでしょう。人を癒すのが役目の人が、こんな、少し無理をしては倒れてたんじゃダメだよ。肝心の時役に立てなかったらどうするの。与えられた仕事以上のことをやろうとしたせいで本来の役目も果たせませんでしたということになったら、それこそ話にならないよ。」
ぴくり、と、キルロイさんの冷たい指が強張るのがわかった。
「大丈夫。頑張らなくていいんだ。今のままで。キルロイさんが一生懸命やっているのは、みんな知ってるから。だから、そんな体で無理にみんなと同じように戦おうなんて、考えなくてもいいんだよ。」
それは、普通の時だったら励ましの言葉だったんだろうけど、今のキルロイさんには、傷つけるだけのものだったのかもしれない。
蒼白な顔色は、きっと体調のせいだけじゃない。
そうだろうね。
無力に杖を振るうだけだったキルロイさんが、魔道書を持つことを許されて。
新しい働きができると。
ほかのみんなと同じ位置に立って、もっと人の役に立てるのだと。
誰かに世話をかけなければ生きていけなかった自分が、これから変わることができるのだと、希望に胸を膨らませていたのに。
それらは僕の言葉でやんわりと否定されたんだ。
キルロイさんは、芽生えかけた自分への自信をすっかりなくしてしまったようで、うちのめされたような悲しい顔をしていた。
噛みしめた唇が震えている。
あ、泣きそう?と、僕は思った。
でも、キルロイさんは悲しい目のまま、笑ってみせた。
「ヨファの言うとおりだね。…自分の体の管理もできないくせに、浮かれて、調子に乗りすぎたよ。ごめんね。」
そしてキルロイさんは僕に背を向けて、向こうを向いてしまった。
「…ケビンさんとマーシャさんに伝えてくれる?今日は…みっともないところ見せて、すみませんって…後で謝りに行くからって……」
それだけ言うと、キルロイさんは枕に顔を埋めた。
後はもう、なにも言わなかった。
こんな光景を、僕はどこかで見た。
震える薄い肩。押し殺した小さな嗚咽。
傭兵としての初仕事に失敗…というか、行けなかったキルロイさんは、こうやって泣いていた。
あんまりに情けなくて、不甲斐なくて、と。
あの時から僕は決めていたんだと思う。
僕がこの人を守るんだって。
僕がキルロイさんの分まで強くなって、キルロイさんが戦えない自分を責めたりなんてしないように。
あの時の僕はまだ子供で、黙って部屋を去るしかできなかったけれど、今は違う。
僕はキルロイさんを、背中からそっと抱きしめた。
「無理ができなくても、戦えなくても、いいんだよ。僕がキルロイさんを守るから。僕はそのために強くなったんだ。…僕がずっとそばにいて守ってあげるから、だから、いいんだよ…」
うちひしがれたキルロイさんを見て、僕はかわいそうに思って胸が痛んだ。
でも、痛む胸のその奥に、もっと違う感情がわきあがってくるのを、僕は感じていた。
キルロイさんは僕に背を向けていたけど、もし、こっちを見ていたらびっくりしただろう。
僕は笑っていた。
歯を噛み締めて、目だけ歪ませて笑っていた。
力を抜いたら、きっと大声で笑い出していただろう。
胸の奥で湧き上がるこの気持ちを、なんと呼ぶのか僕は知らなかった。
けれど、なんという充足感!
それは、まるである種の快感にも似て。
僕は自分の中に生まれた新しい感情にうっとりと酔いながら、キルロイさんの髪をいつまでも撫でていた。
キルロイさんは眠っている。
冷たかった体は、いつしか熱を持って燃えていた。
キルロイさんは落ち着きなく寝返りを繰り返し、時折眉を寄せて小さく呻いた。
かわいそうに。
苦しいの?
大丈夫だよ。心配いらない。
一滴しか、入れてないからね。
僕は枕元に置いた椅子に腰を下ろす。
小さな瓶が、僕のズボンのポケットの中で、ころりと転がった。
今日の夜、キルロイさんの食事に一滴だけ入れた、黒い液体の入った小さな瓶。
キルロイさんがいけないんだよ。
僕のことをいらないって、自分で戦うっていうから。
だから、思い出させてあげたんだ。
ほら、あなたはこんなにも体が弱くて、誰かの力を借りないと、普通に生きていく事だって難しいでしょう?
だから僕が守るって言ったんだよ。
それをキルロイさんが忘れたから。
だから、僕は。
僕は眠るキルロイさんの顔を、じっと見つめた。
起きている時はいつも穏やかに微笑をたたえている、優しい顔。
僕の大事な人。
僕の。
僕だけの。
目の前で力なく儚げに横たわるその人を見て、僕はさっきとは違う、優しい気持ちに包まれていた。
僕はにっこりとキルロイさんに笑いかける。
「…ずっと、守ってあげるからね。」
END
なんとなくもやーっとしたイメージだけで書いたので、いろいろと説明不足ですが、説明のないところは「考えてないんだな…」と思われると、正解だと思います。
今後もヨファはキルロイが「僕はダメな人間だ」と完全に自信喪失するまでなんか飯に盛りまくって、立派な共存関係を育んでいくんじゃないかなーと思われます。
…書かないけどね。
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