シノンさん、頑張って。



「シノンさん、シノンさん。僕、お願いがあるんだけど。」

小犬のような大きな瞳をくりくりさせて、ヨファが言った。

シノンはどっちかというと夜に活動したい方の人間なので、与えられた天幕で昼間っからひとりでごろごろしていたところだ。
面倒くせえな、と思ったが、弟というより甥っ子的可愛さを感じているヨファのたのみをムゲにできるほど、シノンは人間が強くなかった。

「なんだ?お願いって。聞くだけなら聞いてやる。」
かなえてやるかどうかは別だけどな、と、シノンは敷物の上に寝そべったままやる気なく答えた。

「うん、あのね、僕。」
お願いに対する脈あり、と見たのだろうか。
ヨファは嬉しそうに言った。

「シノンさんとセックスしたいんだ!」






「・・・・・・・・・はぁ?」
シノンは小指で耳の穴をほじった。

今、ヨファがなんと言ったのかよくわからなかった。

「なんつった?もう一回言ってみろ。」
「あ、うん。僕、シノンさんとセックスしたいなぁって。」

目をきらきらさせながら期待いっぱいに願い事を言ったヨファだったが、シノンが怪訝な顔をして自分を見つめていることに気付き、だんだんと自分の胸の前で握っていた手からも力が抜けてくる。
「…ダメなの?」
しょんぼりとしたヨファの姿に、シノンの心がぐらりと揺れる。
黒い奴だ、さすがあのオスカーの弟だ、とシノンは思う。
こうやってうるうるした目で見られたら、どんな相手だって「嫌だ」と言えないということも、ヨファは自分で知っている。

いやしかし。

いくら「嫌だ」といいにくい状況であろうと、この要求に対してはズバっと断らねばなるまい。

シノンは計算しつくされたヨファの上目遣いから逃げるように目をそらした。

「…なんだよ。溜まってんのか?そーいうのは俺の出る幕じゃないだろ?キルロイに頼め。キルロイに。」
シノンはヨファを追い払うように、しっしっ!と手を振った。

傭兵団に出戻って、えらい人数が増えたなとかこりゃあ傭兵団というより軍隊だな(実際その扱いはすでに軍隊だったのだが)とか、ああでも元々の面子は相変わらずだなとか思っていたのだが。
なにが驚いたって、あの寝小便をたれたと言って泣いていた洟垂れ小僧のヨファと、傭兵団にいること自体間違っているだろうといいたくなるくらいホニャララで頭のネジが二本か三本くらいゆるんでいる――シノンにはそう見える――キルロイが。
よりによって、恋愛ごとからは一番遠そうなあの2人が、カップルとして成立していたことにびっくりした。

おいおい、そりゃないだろ、おまえら年の差考えろよ、いや、頭の内容的にはお似合いなのか――?
とか、それこそあんまり人に自慢できない頭のシノンでさえ考えたものだ。

キルロイに頼め、というシノンの言葉に、ヨファは一瞬眉を上げ、そしてひそめた。
「それはダメなんだ。」
「?やらせてもらえねぇのか?」
「そんなことないよ。」
ヨファはぱっと頬をそめ、首をぶんぶんと横に振った。

「キルロイさんはああ見えて結構情熱的でさー、毎日でもいいって言ってくれるんだけど、ホラ、あの人体が丈夫じゃないからそれはダメだよ無理してまた熱出たりとかしたらどうすんの僕はセックスもしたいけどキルロイさんの健康の方が大事だよ一緒に抱き合って眠るだけでも幸せなんだって言ったらキルロイさんってばにこって笑ってありがとうヨファは優しいねって」
「いい加減にしろ。」
こめかみの血管をぴくぴくさせながらシノンが言った。
「何しにきたんだお前は。のろけに来たのか?」
「え…?ああ、うん、だから、セックスしに。」

シノンはがくりとうなだれる。
ああ、そうでした。
いらんことを言って寝た子を起こした状態になって、シノンは激しく後悔した。

「キルロイさんと毎日できないからシノンさんを性欲の捌け口にしようってんじゃないよ?僕はシノンさんにいろいろ教えてもらいたいんだ。」
お前本当に10代前半か?と疑いたくなるようなセリフの後、ヨファは神妙な面持ちで続けた。
「僕さ、キルロイさんが初めての相手なんだ。キルロイさんも僕が初めてで、お互い、セックスのことよくわからなくって。そりゃ僕だってサルじゃないからいろいろ「ああしたらいいんじゃないか?こうしたらいいんじゃないか?」って試してみるんだけど」
何を試すんだ、何を…
シノンはつい「キルロイ相手にいろいろ試しているヨファの図」を想像してしまって、更にげんなりした。
「でも、キルロイさんって奥ゆかしい人じゃない?「いい」ってのは言っても、「悪い」ってのは言わないと思うんだよ。僕本当にキルロイさんを気持ちよくしてあげられてるのかなーと思ったら、なんだか気になって気になって…。その点シノンさんならダメなところはダメって言ってくれるでしょ?」

それは俺が奥ゆかしくないと言いたいんだな?まあ、そのとおりだが。
「つまり、俺に研究の成果を見てくれと。」
「うん。忌憚のない意見を聞かせてください。」
言うやいなや、ヨファはシノンの服に手をかけていた。
「うわっ!なにするんだ!?」
シノンは慌てて後ろに逃げようとした。しかし、寝そべっていたのがあだとなった。すぐにヨファに上から押さえ込まれてしまう。

冗談じゃない、とシノンは思った。
寝小便時代から知ってるこんな子供と俺がセックスだと?しかもこっちが掘られる方?
ヨファとキルロイの年齢差を笑っちまうぜとか思っていたが、それこそシノンはキルロイより更に五歳は年上だった。

「どうして逃げるのさ。シノンさん「わからないことがあったらなんでもきけ」って言ってくれたじゃない。」
「そりゃお前の歳が一桁の時の話だろうが。セックスの話は対象外ってんだよ!」
そういう間にも、ヨファはぐいぐいと体を押し付けてくる。
服を破くなど野蛮な真似はしないが、油断しているとボタンを外しにかかってくるので手を払いのけるのにシノンは必死だった。

こいつ、なんて力だ…!
体重はまだまだシノンと比べるべくもないのに、押さえつけてくる腕をはねつけられない。
そういえば弓に関しちゃ丸きりの素人で不細工な弓を作ってシノンをサプライズしてくれたヨファだったが、今じゃすっかり一人前のスナイパーで、レベルもシノンより遥か上で、腕力などもうお話にも勝負にもならないのだった。
俺が弓を一から教えたあのちびっ子がなぁ…と、シノンはつい感慨にふけってしまったが、今はそんな呑気なことを考えている場合ではなかった。
このまま放っておいたら、我が身の危機である。

「そうだ!ヨファ。小遣いやるから!街に行って経験豊富なお姉さんに揉まれてくるといいんじゃねえか!?教えるのも上手だろうし、未知の世界が開けるぞ!」
ヨファの動きがぴたりと止まる。
「それって、商売してる女の人のこと?」
ヨファはお話にならないね、というように、ふーーと長いため息をついた。
「本末転倒だよ。僕はキルロイさんのためにセックスを上手になりたいんだよ?商売の人を抱いたその手であの清らかで汚れない天使のようなキルロイさんに触れられるわけないじゃない。」
「お、俺ならいいのかよ!?」
シノンの声が上ずっている。
「シノンさんはいいんだ。僕の師匠だし、キルロイさんも懐いてるし、素人だけど経験豊富なんでしょ?セックス。」
ヨファは可愛い顔をして、怖いことをさらりと言ってのける。
何で経験豊富とか知ってるんだ、聞いたのか?あいつか?それともあいつか?
シノンの頭の中を何人かの男の顔がぐるぐるまわった。

待てよ。
シノンはひらめいた。
そうだ。
「経験豊富」。
この言葉を使わない手は無い。

「いや、残念だな、ヨファ!やっぱ俺は駄目だ!」
「なんで?」
ヨファは目をぱちくりさせて聞いた。
「病気なんだよ、病気。性病!いっぺん傭兵団抜けたとき誰かれかまわずやりまくってたら、どっかかもらっちまったんだよ。」
無論嘘だが、ヨファなどに掘られるくらいならこのくらいの情けない嘘もついてみせる。
「だから、おまえも大事なキルロイに性病なんてうつしたくないだろ?俺も力になれなくて残念だよ、ははは・・・」
「・・・・・・・・・」
ヨファはきょとんとした表情のまま固まっていたが、やがてのろのろとシノンから手を離すと、ゆっくりと立ち上がった。
「えーと…僕、他を当たることにする。」
「ああ、そうしろそうしろ。それがいい。」
シノンは自分でも気持ち悪いと思う笑顔を浮かべてヨファを送り出した。
背中を押そうとしたその手をさっと避けられたのにはむかっときたが、とりあえずヨファが天幕から出て行ってくれたことに安堵する。
ヨファの姿が見えなくなってから、やっと安心できて、天幕の入り口を閉めると同時に腰がくだけた。

「た、助かった…」
はー、とため息をつく。
ヨファにやられたとあっては、恥ずかしくってまた退団しなくてはならないところだった。
とっさに性病だなんて嘘がでてくるなんて、俺もなかなか頭の回転がいい―――


とかなんとか、シノンはこの件は「終わったこと」だと思っていたのだが。









不名誉な噂は広がるのが早かった。




翌日からさっそくシノンは嫌な視線を感じることになった。

どうやら、「あいつは性病」の噂が広まっているらしい。
男はともかく、女の子たちなどシノンが歩くと、ささっと道をあけるほどの反応ぶりだ。

あのガキ…!

噂の発信源はわかっている。
ヨファがそんなに口が軽いとは思わなかった。
まあ、ヨファのことだから面白がって広めたというより、そのことの重大性に気付かないまま「例のこと」を他人に相談したということなのだろうが。

「最初シノンさんにお願いしたんたけどさー、シノンさんは性病だからだめなんだって!」

目に浮かぶようだぜ…
シノンはキリキリと痛むこめかみを押さえた。

まあいい。
もともと俺は群れることを好んだりしないのだ。誰からどんな目で見られようがかまいはしない。
嫌われ者ってのも似合ってるさ…
などと、シノンが前向きに考えようとと努力していた時。

前方にある白いものが目に入った。

「あ…」
白いものが口を開いた。キルロイだった。

キルロイはきまずそうな顔をしている。多分、シノンの噂はもう耳に入っているんだろう。
嫌な奴に会っちまったな、とシノンは思った。
今見たくない顔のナンバーワンだった。なんとなく。

シノンはとっととキルロイとすれ違いたかった。
考えてみれば、もともとの元凶はキルロイなのだ。
こいつさえいなければヨファに押し倒されることもなかったし、情けない嘘をつく必要もなかったし、変な噂も広まることもなかった。
そんなシノンの胸中など知る由もなく、キルロイはシノンを呼び止めた。
「あの、シノン、病気なんだって?」
さすがヨファに「天使」といわせしめたキルロイだ。
その顔にはさげすみも好奇心も見られない。
シノンは内心ムカムカしていたが、その苛立ちをキルロイに向けるのは間違っていることはわかっていた。
確かに、元凶ではあるが、キルロイ自身はなにもしていないのだから、当たっちゃいけない当たっちゃいけないと、シノンは必死で自分を抑えている。
「あー、俺は病気だよ!それがどうした。」
もうヤケクソだ。
「…シノン、気の毒に。」
「はぁ?」
見ればキルロイの目には涙がにじんでいる。
キルロイはシノンの手を取った。
「今まで一人で苦しんでいたんだろう?辛かったね…病気も杖で治ったらいいのに。」
ああ、とシノンは理解した。
これは同病相哀れむってやつだ。
病気が杖で治ればいいのにっていうのは、半分はシノンのことで、半分は自分のことだろう。
病気で人一倍苦労してきたキルロイだから、シノンの病気に過剰なほどに同情するのだろう。
「でも、大丈夫。今にきっといい薬ができるよ。僕も応援するから。頑張って一緒に病気を治そう。ねっ?」
キルロイは力づけるようにシノンの手をぎゅっと握ると、言いたいことは言った、といわんばかりにすっきりした顔で去って行った。

職業に貴賎はないとか素で思っていそうなキルロイだから、病気にも貴賎はないと思っているんだろう。
自分の病気と性病を同列に考えているあたり。

しかし、世間一般的にはキルロイとシノン(実際には病気でもなんでもないのだが)では、同情のされ具合が天と地ほど違う。

シノンはムカムカした。

よりにもよって、元凶に哀れまれたというか。変な連帯感をもたれたというか。

ちゃぶ台が欲しいと思った。
できれば丸型で、出来立ての飯の配膳されたちゃぶ台。
今、猛烈にそれをひっくり返したい。

落ち着け、シノン。それは妄想だ。
自分に言い聞かせながら、深呼吸する。

思い切り息を吸って、吐いて。
また吸って。
吸って。

吸って。


「くそガキーーーーーーーー!!!」


シノンは青空に向かって思い切り叫んだ。



END



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