彼と彼女の食事事情
キルロイは何度目になるかわからない、深いため息をついた。
目の前には、ほとんど手をつけられていない夕食のトレイ。
もうすっかり冷め切って、どうみても食欲をそそるものではない。
一体どうして自分はこんな「給食を食べ切れなくて昼休みまで残される小学生」みたいなことになっているのか。
(やっぱり食事時は他人と関わらないに限るなぁ…)
キルロイは一人で小さくつぶやいた。
キルロイは親しくない人間と食事をするのが嫌いだった。
なぜって、善意で食事を勧められるのが辛くて仕方ないからだ。
食べないからそんなに痩せっぽちなんだとか、食べなきゃ体力つかないぞとか。
まず、言われる。
かつて言わなかった人などいない、というほど言われる。
体を気遣ってくれる善意からなのだとわかっているだけに、辛い。
目の前の食事を全部胃袋におさめるところを見せないと、申し訳ないような気になる。
それに、相手だってなんだか納得してくれないし。
けれどキルロイの食が細いのはもうどうしようもないことで、無理して食べたって後で吐くだけだと自分ではわかっている。
そもそも、キルロイは「食べること」自体が苦手で、できれば一日一回食べたら許してもらえないかな、とか思っていた。
まあ、それでは体が持たないので、半ば修行のような気分で毎食--たまにはサボるが--片付けているのだが。
いちいちそんなことを説明するのも手間だし、相手の気分を害したくないので、キルロイは食事というものは傭兵団のなじみの仲間とか、もしくは一人で別の場所でしか、食べないことにしていた。
今日は運が悪かった。
もともと、ひどく疲れていたし、体調も良くなかったのだ。
とっとと部屋に帰って眠ってしまおうと思っていた、宿舎での夕食時。
一度か二度、顔を合わせただけのような仲間に声をかけられた。
最近はどんどん大所帯になっていって、全員の顔をキルロイは覚えられずにいたが、向こうはこちらを覚えていたようで。
こんなところでうろうろしていたら、食事がなくなってしまうぞと、強引に食堂までつれてこられた。
食堂でキルロイは助けを求めるように古い仲間を探したが、あいにくと今日に限ってヨファやオスカーの顔が見えなかった。
なりゆきでよく知らないその仲間はキルロイと相席をし、おせっかいにも「あんたはもっと太ったほうがいいね」と自らの食べ物までキルロイの皿に分け入れて。
自分はさっさと食べ終わって、「じゃ、また」と去っていったのだ。
後に残されたのは、ほとんど量の減っていない冷めた食事と、途方にくれたキルロイのみ。
そのうち、他の連中も食事を食べ終わって、ぞろぞろと外に出て行き、照明もキルロイが座っているあたりだけ残してあとは消された。
キルロイはますます取り残された気分になる。
どうしよう。
食べられない。
もともと調子が悪かったこともあって、頭の中がぐるぐるする。
どうしよう。
残したいけれど、食べ物を粗末にするわけにはいかないし……
キルロイはちょっと泣きたくなった。
その時。
「はあ・・・・・・・・・・・・・・・・。」
キルロイのそれに勝るとも劣らない、盛大な、かつ、なんとも元気のない辛そうなため息が聞こえてきたのだ。
「?」
もう食堂には自分しかいないと思っていたキルロイは驚いた。
ため息はキルロイの後ろから聞こえた。
振り向いてみると、キルロイと背中合わせの席に座っていたのは、藤色の髪をさらりと伸ばした、色の白い華奢な少女・イレースだった。
イレースは寡黙な娘だったから、傭兵団が今みたいに大人数になる前に入団してきたのに、キルロイは彼女としゃべった記憶がない。
会えば挨拶する、その程度だ。
しかしイレースはキルロイにとって、少し気になる人物だった。
いつも元気なくうつむいて悲しそうな顔をして。
風が吹けば飛んでしまいそうな風貌はその表情のせいだけでなく、彼女の体格の問題でもあった。
短いスカートから覗くひょろりと細長い足がどうにも不健康で、いつか倒れはしないか見ているだけではらはらさせる。
--彼女は自分と同じなのではないか--
キルロイはそう思っていた。
きっと、イレースも病気がちで体が弱いのだろう。
だから、あんな悲しい儚げな顔をしているのだ。
キルロイはそう思って、勝手に親近感を募らせていた。
そのイレースが、自分の背後でため息をついている…
え、と。と、勢いをつけるためにキルロイは口の中で呟いた。
「どうかしたの?具合でも悪いのかい?」
気の弱そうな少女を驚かせないように、キルロイは努めて優しく話しかけた。
イレースの目の前にも、食事の盆が置いてある。
彼女もまた、食べきれずに困っているのだろうか…
イレースが、ゆっくりとキルロイに目を向けた。
力なく、のろのろと唇を開く。
「おなかが、すきました…」
イレースの皿は空だった。
全部食べていたのだ。
そして、今食べたばかりなのだ。
「お、おなかが?」
すいたって?なんで?
キルロイはイレースと空の皿を交互に見比べる。
イレースと、空の皿と、「おなかがすいた」の言葉が、どうしてもひとつの事柄としてまとめることができなかった。
「軍師さんは…意地悪なんですよ……私が団の経費を圧迫するって…あんまり食べるなって言うんです…。
今日も『大盛りにしてやったんだから、お代わりは禁止です』、なんて…。わたし、もう、おなかがすいて…つらくて、つらくて…仕方ないからお皿舐めてしまおうかなって……」
イレースの告白を、キルロイはぽかんとして聞いていた。
なるほど、イレースの皿は、使用していないかのようにぴかぴかだった。
…すでに舐めた後だったのだろう。
「いいですね、あなた…ごはんがあって、うらやましい…」
イレースは首を伸ばして、キルロイの向こうのトレイを見つめた。
言葉どおり、心底うらやましそうというか恨めしそうな目つきだった。
「えーと…良かったら、どうぞ。」
わりと勢いに飲まれやすいキルロイでなくても、そう答えざるをえなかっただろう。
イレースはちょっと顔を輝かせて、キルロイからトレイを受け取った。
いつも沈んだ表情しか見せなかった彼女の変化に、キルロイは意外なものを見た気がした。
イレースは、自分が思っていたような女の子ではないのだ。多分。
食事もきちんととれて、しかもよく食べて、笑ったら案外元気そうで、歳相応の少女のように可愛らしい------
とか思っていたキルロイだったが、ふと言い忘れていたことがあったのを思い出した。
「あっ、ごめん、スープは口をつけちゃったから、それは除けて…」
「ごちそうさまでした…」
イレースはすでに食べ終わっていた。
特に親しくもない男が口をつけた料理ということは、彼女にとってはまったく問題ではなかったらしい。
キルロイはちょっとびっくりして言葉を失った。
「ありがとうございます…少しだけおなかがましになりました…」
イレースがキルロイに向かって目を閉じて合掌した。
「いえ、どういたしまして…」
口の中でもごもごと返事をするキルロイを、イレースは珍しく伏せていた瞳をあげて見つめた。
「あの…あなた…、お名前は…?」
「キ、キルロイです。」
「そう…キルロイさん…」
イレースはゆっくり椅子から立ち上がった。
「今日、お食事を分けていただいたことは、忘れません…」
ねっとりと絡みつくような熱い視線を投げかけて、イレースは微笑む。
そしてキルロイにかるく頭を下げると、いつものようなふらりふらりとした足取りで食堂を出て行った。
あとに残ったキルロイは、自分の皿とイレースの残していった皿を片付けていた。
助かった。
捨てずに済んだ。
肩の荷が下りた気分だ。
イレースは食事を分けてくれたキルロイに礼を言ったが、キルロイこそイレースにありがとうと言いたいところだった。
(忘れません、だって。奥ゆかしい子だな。)
キルロイの口元が綻ぶ。
あんまり早くてよく見ていなかったけれど、イレースの食べっぷりは素晴らしかったことだろう。
また機会があれば、今度はじっくり見てみたい。
今日のことで仲間の一人であるイレースとの距離が縮まったようで、キルロイはうれしかった。
『今日、お食事を分けていただいたことは、忘れません…』
イレースにとっては「この人は食べ物をくれる人」とタカリ認定しただけのことだったのだが、今のキルロイには知る由もない。
知ってしまっても、彼はきっと笑って、イレースが自分の分けた食事を食べる姿を、うれしそうに眺めるのだろうけれど。
END
キルロイとイレースの捏造支援Cです。
キルロイとヨファの支援の、「食事もちゃんとみんなと食べたしね。」にも着目。
そんな当たり前っぽいことをうれしそうに言うキルロイは、きっといつもはみんなとごはんを食べないのだわーー!と想像。
キルロイは食べっぷりのいい女の子(いや、女の子に限らず)は好きだと思います。
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