まほうのこびん


キルロイさんの職業は司祭です。

味方の誰かが怪我をしていれば治療をしてあげるのが主なお仕事で、余力があれば光の魔法など使って、敵HPを削ったりしています。

キルロイさんは病弱という設定を裏切らない見た目をしています。
ひょろっと痩せた体躯を際立たせる白い衣装に、日焼けしない薄い皮膚。
外見だけ見て「傭兵さんだ」と思う人はあまりいないでしょう。
性格も、教会でお祈りを捧げているのがお似合いな、おっとりまったりした善人です。

そんなキルロイさんは、プレイヤーに溺愛されていました。
レベルアップの際、ステータスの上がり具合が芳しくなかった場合はリセット!というほどの溺愛っぷりです。

そんな育てられ方をしたものですから、いつのまにやら病弱でハカナゲだったはずのキルロイさんは「あるときは壁」「あるときは特攻隊長」の役をおおせつかるほど、頼れる仲間になっていたのです。
守備力とHPの高さにはかなり難がありますが、「敵の攻撃はとりあえず避ける」ことが前提になっているのでノープロブレムで、今日も今日とてキルロイさんは誰よりも前に出て敵をなぎ倒していくのでした。





そんなキルロイさんの成長振りを見て、胸をもやもやさせている人物がありました。

クリミア王宮騎士五番小隊隊長・ケビンその人です。

ケビンはキルロイさんのことを以前から好ましく思っていました。

ケビンは腕っ節が強くておまけにわりと打たれ強かったので、よく前線に出て戦っていました。
残念ながらあまり器用な方ではないケビンは、敵は倒すものの自分もよく怪我をしていました。
そのたびにキルロイさんは忙しい手を休め、ケビンのためにライブの杖を振ってくれました。

戦闘ではないただの訓練のときも、いつの間にやら流血してしまうケビンのためにそばに居て、普段から青白い顔をもっと青くさせながらも治療をしてくれました。
いつもそうして怪我を治してくれる白衣の天使にケビンがほだされないはずがありません。

いつのことだかどさくさにまぎれて握ったことのある、ちょっと荒れた細い指の感触を思い出すと、ケビンの胸の中は、どこか悲しいような、切ないような、それでいて温かく幸福な気持ちでいっぱいになるのでした。



ところが、ケビンの視線の先で、キルロイさんはどんどん変わっていきました。

最初は仲間に守られつつ杖を振るのみだったのに、いつの間にやら攻撃魔法など覚え、味方の後ろで補助的に攻撃魔法を使っていたと思ったら、ある日気づくと最前線の自分の隣りにいたのです。

最初、ケビンは張り切りました。
騎士たる者、弱者を守ってあげるのも勤めです。
ケビンはキルロイさんが危なくならないよう、精一杯守らせてもらおうと思っていました。

けれど、ケビンのあずかり知らぬところで強くなっていたキルロイさんは、ケビンの助けを必要としませんでした。
ケビンはがっかりしました。
そして、落ち込みました。
昨日の戦闘では、キルロイさんを守るどころか、反対に守られてしまったのです。

渾身の一撃を避けられてしまったケビンが敵の反撃をくらい、もはやこれまで―――と、覚悟を決めたときです。
鋭い閃光が目の前を走ったかと思うと、敵はばったりとその場に倒れ伏しました。
後ろを振り向くと、魔道書を掲げたキルロイさんの姿が。
ケビンと目が合ったことを知ると、キルロイさんは「無事でよかったです」と、にっこりと嬉しそうに笑いました。


…ケビンはあんまりうれしくありませんでした。

自分の存在意義について考えてしまいます。

あの、優しくて愛しくてふわふわとした天使を、騎士の誇りを持って守ろうと決めたのに、守るどころか守られてしまったという体たらく。

俺は一体なんなのだ。
ある種の超人と化した彼の人に、支援でしか役に立つことはできないのではないのか―――!

そう思うと、ケビンの心は海の底より深く暗く、どんよりと落ち込むのでした。





キルロイさんの心は、海の底より深く暗く、どんよりと落ち込んでいました。

特になにかした覚えもないのに、ケビンに避けられているような気がするのです。
いえ、自分をごまかすのはやめましょう。
キルロイさんは明らかに、ケビンに避けられていることに気付いていました。

ケビン、とその名を思い浮かべると、いつもどこかしら血を流した姿を思い出します。
そのくらい彼はしょっちゅう怪我をし、無駄に血の気が多いのか、出血の量もひどいものでした。
ただの訓練をしていたはずなのに顔面血みどろになって「怪我をしたので治してはくれまいか」とやってきたケビンを初めて見たときには、キルロイさんのあんまり活動的でない心臓は止まってしまうかと思うくらいびっくりしました。

そんなことがあってから、「いきなり血みどろで出現されるよりは、怪我をする過程も見ていた方が精神衛生上、好ましい」という理屈で、キルロイさんはケビンにくっついて歩くことが多くなりました。

自然、戦闘中でも、あの人は今も血を流してはいないだろうか…と、気になります。

いつの間にか、キルロイさんはいつも視線でケビンのことを捜すようになっていました。
やんちゃすぎる息子を気にする母親の心境とはこんなものなのだろうか、とも思いました。

でも、ちょっとそれは違うな、とキルロイさんは思います。
ケビンは怪我を治してもらった後、キルロイさんに「かたじけない」と礼をいいます。
いかにも騎士っぽい、しゃちほこばった物の言い方はキルロイさんにとっては珍しいもので、面白い人だな、と思いました。

面白い人…それ以上の感情が芽生えたのは、いつのことでしょうか。



キルロイさんは、ケビンの笑った顔が好きでした。
笑ったとき、白い歯がきらりと光るのも好きでした。
いつも笑った顔を見ていたい――キルロイさんはそう思っていました。



けれど、いつのころかケビンの顔に翳りがみられるようになりました。

疲れているのかな?と、最初は単純にそう思っていました。
だから、ケビンが少しでも楽になるよう、キルロイさんは戦闘で頑張りました。
それでもケビンの表情は晴れません。

キルロイさんはもっと頑張りました。
疲れているケビンの分まで戦いました。
キルロイさんはこれでケビンもまた笑ってくれるだろうか、と思いました。

けれど、昨日の戦いが終わった後、ついにケビンは笑顔を見せてくれるどころか、目さえ合わせてくれませんでした。







元・ベグニオン天馬騎士団のマーシャは上機嫌でした。

今日は買い物を頼まれて付近の街までひとっ飛びしてきました。

輸送隊やら一緒に来ている商人さんのところではなかなか手に入らないものも結構ありますから、マーシャは歩兵の女の子から買い物を頼まれることがよくありました。
歩いては買いにいけないショップにも、天馬だったらあっという間です。
ついでにあなたのものも買っていいからとか、おつりはあげるからとかおいしいオプションがついているので、マーシャはこの頼まれごとは好きでした。
天馬騎士になった自分、グッジョブ!とすら思いました。


天馬は厩舎につないで、大荷物を持ってよたよたと歩いていると、よく知った姿が背中を丸めてとぼとぼと先を歩いているのが見えました。

や、ばーい。

マーシャはまわれ右をしようとしました。
あの人のことはいいお友達だと思うけれど、あの元気のない姿には、なんだかやっかいごとの匂いがプンプンします。
巻き込まれたり面倒なことになったりするのは困ります。

こっそり逃げようとしたマーシャの抱えた紙袋の一番上から、イレースに頼まれて買ってきた缶詰が滑り落ちました。

マーシャは自分の不運を呪いました。
缶詰は派手な音をたてて地面に落ち、あまつさえ姿を隠そうと思ったその人に向かって、ころころと転がっていったのです。

「………」

前を歩いていた人が、驚いた顔をして振り向きました。
そして、マーシャと缶詰をたっぷり三秒見比べた後、はっとしてとってつけたような笑顔を浮かべました。
背筋もしゃんと伸ばします。
「元気がないですね、大丈夫ですか」と心配されるのが、彼はあまり好きではないのです。

彼はゆっくりと缶詰を拾うと、それをマーシャには渡さずに、空っぽのほうの手を伸ばしました。
「重そうだね。持とうか?」
微笑んでそう言う彼に、マーシャは慌てて首を振りました。

いくらマーシャであろうと、キルロイさんに私用の荷物など持たせたとあっては、緑の髪の小さなお友達に弓で射抜かれてしまうでしょう。




マーシャとキルロイさんは肩を並べてゆっくりと歩きました。
沈黙が重苦しく、マーシャはいたたまれない気持ちになりました。
キルロイさんはさっきのようにうなだれながら歩いたりはしませんが、目がどことなく空ろでなにか考え事に没頭しているようでした。

「……」
マーシャは時々キルロイさんのことをちらちらと見ては何か言いたそうに口を開き、結局声を出すことなくまた閉じる、ということを何度かしていました。

実は、マーシャはキルロイさんの様子が変な理由がなんとなくわかっていたのです。
体調が悪いというのでなければ、元気のない理由はそれでしょう。

ずばり、原因はケビンです。


マーシャは作戦上、ケビンと一緒に組むことが多くありました。
自然、二人はプライベートでも親しくなりました。
ケビンはマーシャのことを若輩だから女だからといって見下すことなく、対等な盟友として扱ってくれました。
出身国は違えど、同じ騎士であるし、趣味も合うし(馬好き)、年の差や性別を越えて、いい友人が出来たと思っていたのです。

が、いつのころかケビンの話の方向がだんだんおかしくなってきました。
傭兵団の特定の人物に対して、やたら語るようになったのです。

人一倍怪我をしてはライブの杖のお世話になっているケビンですから、杖を振るってくれるキルロイさんに感謝をする気持ちはわかるのですが、それにしてもちょっと語りすぎではないかとマーシャは思いました。
友人という話題は、そんなに熱くなって語るものなのでしょうか。
マーシャも本人の知らぬところでケビンに熱く語られてしまっているのでしょうか。
それにしても、キルロイさんのことを語るケビンの表情は、ちょっと変でした。
目はやたら熱っぽく、頬は赤く染まっています。
そして、とても嬉しそうです。

まるで、のろけられているようだわ、とマーシャは首をひねりました。

そして、更にケビンの様子はおかしくなっていきます。

あんなに楽しそうにキルロイさんのことを語っていたのに、なぜか時々つらそうな表情を見せました。
キルロイは強くなった、彼は頑張り屋だ、とか、キルロイも前線で戦うようになったから彼を守れるように自分も鍛錬に励まねば、とか張り切っていたはずなのに、一体どうしたことでしょう。

キルロイは強くなったけど、強くなりすぎだ、とケビンは言いました。
俺などがいなくてもキルロイは独りで大丈夫なんだ、いや、俺はむしろ足をひっぱっているのかもしれない…ケビンはそうこぼします。
このあたりで、マーシャも気づきました。

あたし、もしかしてものすごく面倒な愚痴を聞かされてる…!?

なんとしたことでしょう。
いい年こいた大人の男が、こんな小娘に愚痴をこぼしているのです。
しかもその内容は十代の少女の恋愛相談のような女々しさです。

なあ、マーシャ殿、俺はどうしたらいい?なんて真顔で真剣に訊かれたって困ります。
そんなすがるような目で見られたって、期待するようないい返事なんて出るわけがありません。
自分の経験すら相当浅いのに、まったくもっていい迷惑です。

マーシャが返事に困っている間に、ケビンは一人で結論をつけたようでした。

「俺はふがいない男だ。もっともっと鍛えなくては、キルロイの隣りに立つ資格もない…」

そんなつらそうな呟きがマーシャの耳に入りました。
いらぬことを言ってその言葉に責任を持たされても大変です。
マーシャは黙って見ている事しかできませんでした。


ケビンは元気がなくなっていきました。
そして、キルロイさんに対してどこか他人行儀になり、ついには避けるようになってしまったのでした。


ひょっとしたら本人たちは気づいていないのかもしれませんが、周りに――とくに直接相談を受けていたマーシャにはバレバレでした。

ケビンが「守ってやるべき」と思い込んでいた相手の自立によって、騎士としての、男としての自分に自信を失ってしまったこと。
そんな暗く落ち込んでしまったケビンを見て、まさか原因が自分だと思ってもいないキルロイさんが心を痛めていること。

暗い雰囲気は伝染するものです。
いつもケビンを目で追いかけていたキルロイさんのことですから、他の仲間以上にケビンの傷心が痛く、辛いのでしょう。

面倒ごとの嫌いなマーシャでしたが、そんなキルロイさんを見ているととても可哀想に思えてきました。
ケビンが落ち込んでいるのは、あんなに血を流してもびくともしない男ですから、ちょっとくらい元気がないのはうっとおしくはありますが別に心配の必要もありません。
却って静かでいいという仲間もいるくらいです。
けれど、キルロイさんが沈んだ顔をして無口になっていると、もともと静かで存在を主張しない彼が、なんだか大気に溶けてそのままはかなくなってしまうような危機感さえ感じます。

マーシャはキルロイさんのために一肌脱ぎたいと思いました。

マーシャは立ち止まると、胸に抱えていた紙袋に手を突っ込んで、ごそごそと中身を探りました。

「キルロイさん、これ、あげます。」
マーシャは袋から掴み出したものをキルロイさんの手に握らせました。
それは、てのひらに軽く収まる、磁器でできたずんぐりとした形の白い小瓶でした。
「さっき街に出たんで、自分用に買ってたんですけど、キルロイさんにあげます。」

マーシャはキルロイさんに説明しました。
これは、街で一番評判のまじない師のところで買ってきた、魔法の瓶である。
なにが魔法かというと、この瓶のなかには特別な力によって、『元気の素』が封じ込められているのである。
落ち込んだり疲れたりしたときこの蓋を開けるとあら不思議。たちまち身体に元気がみなぎってくるというものだ―――

「キルロイさん、ちょっと元気ないみたいだから使ってください。」
マーシャは遠慮して受け取ろうとしないキルロイさんに、ぐいぐいと小瓶を小瓶を押し付けました。
「私のはまだあるから大丈夫です!すごいんですよ〜、自分だけじゃなくって、他人を元気にすることもできるんですって〜!」
キルロイさんの動きがぴたりと止まりました。
「元気をあげたい人と二人っきりになってね、その人の目の前でこの瓶の蓋を開けるだけで、その人を元気にできるらしいですよ。すごいですね〜いろんな使い方ができるんだ〜。」
少々わざとらしい説明かと思いましたが、根が人を疑うことのできないキルロイさんですから、マーシャの話も信じてくれることでしょう。
「…ほんとに、誰でも元気にできる…?」
「て、いう評判でしたよ!」
笑顔でマーシャは答えます。効かなかったときの予防線を張ることも忘れません。

キルロイさんは素直に小瓶を受け取りました。
頬を少し赤く染めて「ありがとう」とお礼を言うキルロイさんの笑顔はとても自然で、さっき見せた無理をした微笑とはまるきりちがっていました。
やっぱりこの人はこうでなくちゃ、とマーシャはうれしくなりました。

用事が出来たから、と、もう一度お礼を言って小走りに去っていくキルロイさんに、手を振って応援できないのがマーシャは残念に思いました。
「キルロイさーん!ふたりっきり!ふたりっきりのシチュエーションが大事ですからねー!」
両手いっぱいの荷物を抱え、マーシャはキルロイさんを見送りました。






世の中にはいろんな魔法があるものだ、と、小走りに走りながらキルロイさんは思いました。

魔法を使うもののはしくれとして、普通の人よりは魔法に詳しいつもりでいたのですが、キルロイさんにとって呪(まじな)いは専門外でした。
呪(まじな)いとはなんと便利なのでしょう。人を元気にしてしてあげることもできるとは!

人の心を操ることはよくないこととされていますが、おなかの空いた人に食べ物を与えるように、元気のない人に元気の素を与えることは、きっと罪ではないでしょう。

いえ、呪(まじな)いも魔法もどうでもいいのです。
これでケビンが元気になるなら、と、キルロイさんは思いました。

握りしめた小瓶はしっかりとした重みがあって、中には確かに何かが入っています。
残念ながら瓶は磁器で出来ているので、『元気の素』が一体どういう状態で入っているのかわかりませんが、この重みはそのまま効き目への信頼感であるような気がしました。

とにかく、これをケビンの目の前で開けてみせれば、ケビンは元気になるのです。

そうしたら、またケビンは笑ってくれるでしょうか。

ケビンのまぶしい笑顔を思い出すと、キルロイさんの胸は「走ったから」というのとは別の理由で動悸が激しくなるのでした。




キルロイさんはケビンを捜して走り回りました。

昨日は戦闘、今日も大半の時間を負傷兵のケアなどしていて、正直なところ体はクタクタだったのですが、キルロイさんは疲れなど全然気になりませんでした。
心臓が早鐘を打ち、耳からは己の鼓動しか聞こえなくなっても、キルロイさんは足を止めませんでした。
途中で何人かに声をかけられたような気がしますが、振り向きさえしませんでした。

キルロイさんの頭の中は、ただ、ケビンの元気な笑顔、それだけだったのです。





さんざん探し回って、ようやっとキルロイさんはケビンを見つけることができました。

宿営地からすこし離れた小さな空き地に、ケビンは一人でいました。
黙々と斧を素振りしています。
いつものように「おりゃ!」とか「とう!」とか、やかましい掛け声は聞こえません。

キルロイさんの呼吸は相当激しく、乱れていたのですが、何かに憑かれたように斧を振り続けるケビンの耳には入っていないようでした。

キルロイさんはケビンの訓練を邪魔しては悪いかな、と少しだけ思いました。
終わるまで待つべきか、とも、ちらりと思いました。

けれど、自分は今、避けられている身なのです。
のんびりと声をかけるタイミングなど計っていては、逃げられてしまうかもしれません。

キルロイさんは思い切って出せるだけの大声を張り上げました。

「ケ…ケビンさ…っ」

大きな声を出したつもりだったのですが、走ったばかりだったので妙に力の無い、ひっくり返った声が出てしまいました。
そのうえ自分の出した声にむせて、盛大に咳き込んでしまいました。
格好悪いことこの上ありませんが、結果としては良かったといえるでしょう。
キルロイさんに気づいたケビンはやはり逃げようとしたのですが、明らかにどこか具合の悪そうなキルロイさんを置いて行くことは出来なくなったのですから。

ケビンは「大切な戦友」であるはずの斧を放り投げ、慌ててキルロイさんの背をさすりました。
温かく力強いケビンの手を背中に感じながら、キルロイさんはまだ少し咳をしつつ、手の中の小瓶を差し出しました。
驚きと心配の入り混じったようなケビンの表情に、キルロイさんの心がちりりと痛みます。
キルロイさんはもうずっと長い間、ケビンの晴れやかな顔を見ていないような気がしました。

気の毒なケビンさん。
でも大丈夫。
今すぐ元気にしてあげますからね―――

願いと期待をこめて、キルロイさんは小瓶の蓋に手をかけました。


が。


「あ、あれ?」

ケビンの目の前で開けてみせるはずだった小瓶の蓋は、一ミリも開く気配を見せなかったのです。

「なんだ?その瓶がどうかしたのか?」
ケビンが不思議そうな顔をしてキルロイさんの手の中の小瓶を覗き込んできました。
「いえ!ちょっと、ちょっと待ってください!」
キルロイさんは慌てて小瓶を胸に抱きこむと、ケビンから二歩離れてもう一度蓋に手をかけました。

今度は渾身の力を込めて挑みます。
今までこんなに力んだことはない、というくらい頑張りました。

けれど、蓋は開きません。

キルロイさんは焦りました。
どうしたらいいのかわからなくなって、頭の中がぐるぐるします。それはちょっとした酸欠になっているからなのですが、パニックに陥った本人にはわかる由もありません。

どうしよう、と、キルロイさんは口の中で小さく呟きました。
頭の中では「蓋開かない」→「ケビン元気になれない」の図式までできあがってしまい、キルロイさんは泣きたくなりました。

けれど、焦れば焦るほど手には嫌な汗が湧いてきて、蓋を開けることがもっと難しくなるのでした。





一方のケビンは、ぽかんとしてキルロイさんを見ていました。

諸々の雑念や迷いを追い払うため、一人になって斧を素振りしていたのですが、いきなり雑念の元がやってきたと思えば、死にそうな顔で正体不明の瓶を差し出してきたのです。
けれど、どうもその瓶の蓋が開かないようでした。

半泣きになって瓶の蓋と格闘するキルロイさんを見ているうち、ケビンの手は何も考えないまま、勝手に動きました。
くたびれきって止める気力も失せたキルロイさんの手から小瓶を取り上げると、軽くその蓋をひねったのです。


めきょ、と小さな音をたて、小瓶の蓋はいともたやすく開きました。

そして、ふわっと漂ってきたのは、ほのかな甘い香りでした。

「ジャム…?」
「ええ?」
これがどうかしたのかといいたげなケビンから、キルロイさんは小瓶をひったくるようにして取り戻しました。
そして小瓶の中身をじっと見つめます。
「ジャム…でしょうか…」

小瓶の中身は赤く透き通ったきれいな色の、苺のジャムのようなものが入っていました。
匂いを嗅いでみると、それすら本物のジャムのようです。
キルロイさんは首をひねりました。
この瓶の中には『元気の素』が入っているはずでした。
『元気の素』とは、苺ジャムに良く似たものなのでしょうか。
それともこれは本当に苺ジャムで、マーシャが瓶を間違えたのでしょうか。


不思議そうにジャムの入った瓶を見つめるキルロイさんを見ながら、ケビンはなんだかおかしくなってきました。

魔力や運や魔法防御がどれだけ高くなろうとも、この哀れな司祭はとても非力で、誰かがついていてあげないとジャムの瓶さえ開けることができないのです。

ケビンはキルロイさんに、ほんのちょっとの憐れみと、それを遥かに上回る愛おしさを感じました。


くつくつと少し上で笑う声がして、キルロイさんは声のほうを見上げました。
笑い声は、キルロイさんより少し背の高い、ケビンから聞こえてくるのでした。

キルロイさんの心臓は跳ね上がりました。
ケビンが笑っているのです!

キルロイさんは手の中のしっとりとした重みに感謝しました。
マーシャのくれたこの魔法の小瓶は、なんて効果があるのでしょう。
キルロイさんは中身をただのジャムかと思ってしまった自分を反省しつつ、マーシャに心の中でお礼を言うのでした。


「それで、そのジャムがどうかしたのか?」
「いえ…えーと、その。つまり、お茶でも飲んで、休憩しませんかってことですよ。」
キルロイさんは適当にごまかしました。
呪(まじな)いの効いた今、いちいち種明かしする必要も無いでしょうし、勝手なことをすると気分を害されてしまうかもしれません。
「甘いものは身体にいいんですよ…ケビンさんはちかごろ、元気がなかったから。」
そう言ってジャムの瓶を見せます。
この元気の素は口に入れても大丈夫なのかどうかわかりませんが、後で実際にお茶にするときには中身を適当に入れ替えておけば、単純なケビンのことです。たぶん中身が変わったことには気づかないでしょう。


ふわりと笑ったキルロイさんを見て、ケビンはどきりとしました。
たしかに、最近浮かない顔ばかりしていた自覚はありました。
落ち込んでいるときは周りが見えなくなっていましたが、自分は大切に思っている相手にそんな心配をかけていたのです。
ケビンは己の未熟さが恥ずかしくなりました。
そして、自分が弱かったのは力ではなく、心だったのだと思いました。
腕力だけが強くても、こんなことではキルロイさんを守るなんてことは夢のまた夢で、生涯足を引っ張り続けるだけのことでしょう。
ケビンはそう思いながら、今後ますますの精進を誓うのでした。


「それでは、ご馳走になろうか。…甘い匂いを嗅いだらなんだか腹が減ったな。」
ケビンが優しい声でキルロイさんに言いました。
他人が聞いたら背筋が痒くなってしまうくらい甘さを含んだ声でしたが、キルロイさんの耳にはとても心地よく、甘美な音として響きました。
なんといっても、久し振りにケビンが笑いかけてくれているのですから。
キルロイさんは疲れもふっとぶくらい嬉しくなって、自分の顔も自然とほころんでいくのでした。






「…ぬるいわ。」

キルロイさんとケビンが時々微笑みを交わしながら初々しいカップルのように去っていくのを木の陰から見ていたのは、自分の用事をさっさと済ませてこっそりとキルロイさんの後を追っていたマーシャでした。

どうせだから、一生俺がお前の瓶の蓋を開けてやる!とか言えば良かったのよ、とマーシャはそれが少しだけ不満でした。
あの二人がきっちりくっつけば、ややこしい男だらけの三角関係に巻き込まれることもないのです。

瓶の効果が無かったときフォローするために後をつけたマーシャですが、思った以上に事がうまく運んだのは幸運でした。


小瓶の中身は、間違いなくジャムでした。
ただ、キルロイさんに渡す前にきっちりと固く蓋を閉めなおしはしたのですが。

マーシャにはキルロイさんが蓋を開けられないだろうことがわかっていました。
神成長!とプレイヤーは喜んでいましたが、相変わらず力だけは女の子並というか、それ以下だったのですから。
キルロイさんにはまだまだ出来ないことがたくさんあって、そこを自分は助けてやることができるのだということを、ケビンが気づいてくれればとマーシャは思ったのです。

まあ、今日のところはこんなオチだけど上等でしょう…と、マーシャが一息ついたとき、うすら寒い負の気配を背後に感じました。


「ひどいよ!マーシャさんはどっちの味方なのさ!」

どのへんから見ていたのかは知りませんが、二人の仲直りにマーシャが一役買ったことには気づいているのでしょう。
三角形のうちの一角である、緑の髪の少年弓兵が大きな目を涙でうるませて、不平を訴えています。

たしかに、この少年とマーシャは仲良くしていて、それでいてケビンより露骨な恋愛相談を受けることも多かったのですが、マーシャはその件についてはどちらも味方したいとは思っていませんでした。

ケビンとヨファ、どちらがうまく行っても、どちらかが悲しい思いをするのです。
そんなディープで重い相談は、マーシャの手にはあまります。


恨みがましい目で見つめてくる少年を前に、マーシャは「この話のタイトルは『お人好し少女の受難』とか『望まぬ縁の下の力持ち』とかに改題すべきね…」などと思い、ひとりため息をつくのでした。



おしまい



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